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【寄稿コラム】パチンコホールのオリジナルテーマソングを考える

パチンコホールがまだまだ元気だったころの話だ。おカネに余裕があるホールの中には、オリジナルでテーマソングを制作することが静かなブームだった。

そんな時期に知り合ったのがW君だった。彼がパチンコ店のオリジナル音楽の作曲を手掛けるようになっていて、それを記事で取りあげるために取材した。

都内の自宅にはギターやシンセサイザー、Macが所狭しと並び、コンピュータで全ての楽器の音造りもしていた。

W君はプロミュージシャンとしてバンド活動をしていた。パンク系に近いジャンルで、演奏とともにファンが暴れ出す、という札付きバンドで、会場を貸してくれるライブハウスがどんどんなくなっていった。日本よりも海外での評価が高く、ヨーロッパの一部地域で人気があったらしい。

バンド解散後、Vシネマの映画音楽の作曲をしながら食い繋いでいたが、ホールのオリジナルテーマソングも手掛けるようになっていた。

記事の反響はあった。実際に何店舗かの仕事も受注した。

お礼がしたいということで、祝杯代わりにW君の彼女も引き連れて上野で飲んだ。カラオケは嫌いで一度も行ったことがないと言っていたが、ボーカルの血が騒ぐのか、シャウトしながらノリノリで歌いまくった。

その後も東京へ出張するたびに時間が合えば、何度か飲むようになった。仕事は順調で、お礼に広告を出したい、というので2回ほど出稿してもらった。

それから2年ほど経った頃、久し振りに企画の件で電話を話した。結婚するつもりだった彼女とも別れ、作曲の仕事もしていない、という。体を鍛えるために武道に凝っている、という。なんとなく違和感を覚えた。

その後は音信不通となるが、W君からの便りが会社に届いたのは寒中見舞いの時期だった。差し出された場所は東京拘置所からだった。

前年の夏、大麻を栽培して逮捕され、現在は収監の身。懲役1年10カ月の判決が下りていることが綴られていた。文面に悲壮感はない。3畳の独房で自分を見つめ直し、この体験を未来に福を得るためのカルマとしたい、としたためていた。獄中を精神修養の場とする決意が語られていた。

あれから15年が過ぎた。今のパチンコ店にオリジナル音楽を作る余裕はないと思っていたら、創立50周年を迎えた大阪のホール企業が、50周年の記念事業の一環として開店時などに店内で流すテーマソングを作詞作曲していた。

数年前、ホールのオリジナルキャラクターがブームになったが、メガヒットを狙えるホールのテーマソングでパチンコが注目されても面白い。音楽専門学校の学生などに依頼すればそれほどコストもかからないし、若い才能を開花させることにもつながる。


コメント:8件 コメントを書く

  1. そんなんいらんから設定6入れてくれ

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  2. で、オリジナルソングを作ったらパチンコ店や客にどういうメリットがあるのか一切書いてないよな
    仕事がないとやって捕まるような奴に仕事与えろって遠回しに言ってるだけじゃん

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