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【寄稿コラム】元パチスロメーカー開発者の独白

パチスロ業界一筋に30年、技術畑を歩んできた開発者の独白である。現在はパチスロ業界から離れて環境・エコシステムの開発に携わっている。

最初に入ったメーカーは日電協創設時のメンバーでもあったが、今は存在しない。だから話せる内容でもある。

話は0号機から2号機時代まで遡る。

「昔のBは客のため、店のためだった。カメラで客を見ながら、朝からずっと負けている客がいれば強制的にかけた。逆に開店アラシには徹底的に叩き潰した。だから店のためのBであり、客のためのBだった。昔のBに対して罪悪感は一切なかった」

この開発者が師事したのは裏モノの世界では有名なY氏だった。Y氏は日電協が発足する直前までは、パチスロメーカーの社長だったが、会社が倒産。日電協に加盟することなく、その後は裏モノの世界で実力を発揮した。

パチスロ業界を賑わせた関西系メーカーの検定取り消し問題では、違法改造の中心的人物だった。警察に逮捕されても「あんたらが間違っている。ワシは客を守る仕事をしている」と歯向かった。

「Yさんは天才だった。やっていることの批判はあるが、モノの道理が素晴らしい。ゲーム機の考え方を教わった。オッズの設定の仕方が絶妙だった。能力は非常に尊敬している。その技術を私は継承した。ただ、Yさんは裏と表を使い分けることなく、ずっと裏街道を突っ走ってしまった」

パチスロ業界の成り立ちは、いびつだった。昭和57年、大阪でゲーム機賭博事件が発覚した。複数の現職警察官がゲーム喫茶業者からカネをもらって、ガサ入れ情報を流していた。

大阪府警最大の贈収賄事件へと発展する。警察大学校の校長が、大阪府警本部長任中の部下の不祥事だったことから責任を感じて首吊り自殺した。

この一件で、賭博ゲーム機を作っていたメーカーが行き場を失って参入したのがパチスロ業界だった。日電協設立当時のメンバーは玉石混交状態で、脱税事件で消えていったメーカーもある。“石”が淘汰されながら現在に至る。

「車の場合、ボンネットは簡単に開くので違法改造はやろうと思えばいくらでもできる。警察は一切の不正改造を許さないが、鉄板で囲んで溶接してもやる人間はやる。ホールが望む安い機械はできるのに、そのシールドのためにコストがかかっている。おカネをかけなければならない産業は必ず斜陽化していく」

不正改造がなくならないのは、不正改造したくなる機械基準に問題がある、といわんばかりだが、合法的賭博機状態だった4号機時代は、Bモノの出る幕はなかった。

次世代遊技機であるスマパチ・スマスロは出玉データなどが第三者によって、一元管理されることで不正なども瞬時に分かるとも言われている。


コメント:7件 コメントを書く

  1. 嘘松じゃん。4号機時代にも普通に裏モノあったし…兵庫のあの店とか全台ほぼそうだったなぁ。てかリズボやガルフしらんの?そもそもなんでも店によって裏返ってたわ、花火や獣王も普通に裏返ってたぞ?

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  2. 遠隔はBではなくCなのでは?

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